1.17への思い

雑記

こんにちは。ミューズめぐみです。

今年の1月17日は、阪神・淡路大震災から27年が経った日でした。

当時、私は元旦那と震災があった数日後の土曜日、確か21日に結婚式を控えていました。

会場は三ノ宮の東天紅。

しかし元旦那の実家は全焼(みなさまはご無事でした)。

会場の東天紅は全壊、交通網はグチャグチャで結婚式どころではなくなり、式は2年後に挙げることとなりました。

2年後の式の時には長男が生まれていたので(震災の時にはお腹にいました)、シンガポールに行くはずだった新婚旅行は、東京ディズニーランドに。

シンガポールが初の海外旅行になるはずだったのですが、未だ海外旅行は行けてないまま😅

いつか行きたいな…。

〜〜〜

ここからは阪神・淡路大震災にちなんだ曲を思い出と共にご紹介したいと思います。

ビリー・ジョエル「My life」

まず、阪神・淡路大震災が起きた当時、私は大阪にいて元旦那と

その日の夜か翌日にビリー・ジョエルの来日LIVEに行く予定でした。

でも、元旦那の実家とは連絡取れず、元旦那はレンタカーで何時間もかけて神戸の実家に。

ご無事は分かったけど実家は全焼。

とりあえず大阪に来てもらって、狭いので私の実家京都に。

義父は仕事や地域が気になるからと避難所に帰られたのですが、

義母は私の実家に来てもらい、元旦那も仕事があったので大阪のアパートに残って、私と義母は私の実家で数ヶ月共同生活をしました。

そのこともあり、離婚後もご両親との関係は良好でした。

震災でいろいろ大変な思いをしてきましたが、でも、全ての事は私の人生の中に息づき、そして生かされてきました。

ビリー・ジョエルは当日に予定されていた大阪公演初日はもちろん、ツアー中止から帰国することも一時は真剣に検討されたようです。

しかしビリーは人々を勇気づけるためにツアーの続行を決意し、17日の公演を19日に振り替えて予定の日本公演を完遂させました。

そして、この時のコンサートの収益金の一部は義援金として寄付したそうです。

数年後にビリー・ジョエルが来日したときに、長男を両親が見てくれて来日LIVEに行けました。

一つ目の思い出とお話と、ビリー・ジョエルの「My life」でした。

浜田省吾「恋は魔法さ」

姉の結婚式の時に、アナウンサーを目指したことがある元旦那が司会をしたので、姉の旦那さんが最後の挨拶で私たちが被災者であり、結婚式の直前のことだったと話してくださいました。

姉の旦那さんは浜田省吾さんのファンでした。

浜田省吾さんは阪神・淡路大震災のチャリティーソングとして「恋は魔法さ」をリリースしています。

平松愛理「美し都〜がんばろや We Love KOBE〜」

もう1つ思い出と曲を。

次女が小6の時に、地域のセレモニーで震災の作文を朗読しました。

そのことをFM COCOLOの大久保かれんさんの番組にメッセージすると読んでくださり、リクエストした平松愛理さんの「美し都 〜がんばろや We Love KOBE〜」をかけていただきました。

また、2年前に平松愛理さんのチャリティーLIVEにも行き、その時にもこの曲を歌ってくださり、思わず涙ぐんでしまいました。

〜〜〜

27年の間に離婚、義父と長男は亡くなってしまい、地域のセレモニーも高齢化により小学校の授業に伝承されましたが、震災の日のことは忘れられないし、風化させてはいけないと思っています。

今年の1月17日は、午前中に新湊川沿いを朝散歩し、遊歩道にある阪神淡路大震災の慰霊碑に手を合わせました。

夕方に新長田、鉄人広場の1.17希望の灯りで阪神淡路大震災発生から半日になる夕方5時46分に黙祷してきました

数日前にはトンガ付近の海底火山噴火による津波の被害、先が見えないコロナ渦…

人々の癒し、世界平和を祈りました

1.17希望の灯りの手前には家を模した灯りは当時、被害に遭われた長田区の戸数と同じ数に灯りが灯され、コロナ渦のステイホームも表しているのだとか。

この大震災は私にいろいろなことを教えてくれました。

良く言われていることでもありますが、当たり前は当たり前ではない、命や絆の大切さなど、どんな感情を抱いていたとしても助け合い、許すことを学んだように思います。

いろいろ大変なことがあったから神様に出会えたと、今では全てのことに感謝出来るようになりました。

これからの日々も感謝の気持ちを持って日々を過ごせるようにしたいと思います。

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