突 然 の 広 島 。 - 2026 SUMMER –
利用者のwachico.(わちこ)です。
カッチャマ「私は広島に行くぞ、wachicooooooooooooo.!!!!!」
……という鶴の一声で6月の終わり、唐突な広島旅行に震えたのでまた性懲りも無く旅行記に残しておこうかと思います。まあ訪れたスポット自体は少ないんですが、満足感は十二分に得られる感じの良き旅でした。
ちなみに母は修学旅行で訪れた以来だとか(うちの親は九州育ちなのです!)。
※なつかしの前回旅ブログはこちら↓


旅程は一泊二日。ただ往路は私がいつも東京遠征でお世話になってるトコロの夜行バス(旅程1日目の前日夜に出発)なので、厳密に言うと一泊二日+1車中泊の旅です。
んではまあ今回も今回とて、ちょっと(ダラダラ)した書き殴りにお付き合い下さい!
【出発前夜:大阪にて】
出発前日は日本列島にW台風&線状降水帯が襲いかかり、早朝から各地で水害が発生していました。いくら台風と逆方向へ向かうとはいえ、些か不安を拭えない私(生来凶悪な雨女)に対し、母は食卓でただ一言──、
「とりま〇〇日だけはどうにかしといたわ(真顔)」
……と。すぐさま広島の週間予報を確認した私は、黙ってスマホを机に伏せるほかなく。
……いつの間に…この女…………(口悪い)。
いやはや、流石は生まれついての晴れ女。
もうあんたが天照大御神だよ優勝よ。
そして、明くる出発当日──。
ひとまずは、バスターミナル最寄りのJR大阪駅へ。今回のバスは発車時刻がかなり遅い便だったので、駅周辺でそのまま夕ご飯を食べることに。

いつも最初に撮るの忘れて食べがち。……ない?
お腹もいっぱいになってちょっと眠くなりつつ(笑)、でもバスの時間まではまだまだあるので、もう少しグランフロントを散策。その後(荷物整理もあるので)余裕を持ってバスターミナルに向かうことにしました。
荷物整理も終え、車中泊の準備万端。台風の魔の手から逃げるように、我々は一路広島へと向かったのでした……。
【1日目:広島の朝】
時刻は午前7時頃、バスは無事広島へ到着!
おはようございます! さて、気になる広島の朝は……?

しかしまあ、その……この私が付いていながら雨が降らないだけ御の字、ってもんです。とりあえず最初の目的地に向かいつつ朝食を済ませるため、我々はJR広島駅へ。
当日はちょうど、広島の球場で阪神vs広島の試合が行われる日で、朝早くから双方のユニフォームを身に纏った方の姿をちらほら見かけました。しかしそれよりも私が釘付けになったものは、別にございます。それが、こちら。

広島駅1階に様々なベンチと靴を脱いで寛げる芝生広場があり、何とそこには様々なポケモンたちの姿が!
「ポケモン」について一応説明しておきますと、『ポケットモンスター』というRPGゲームシリーズに登場する「不思議な不思議な生き物」たちのこと。ゲーム内でプレイヤーは現在(2026年6月時点)1000種類を超えるポケモン達をゲット(捕獲)し、育て、共に旅をして……、昔は通信ケーブル(有線接続)、今はインターネットで、世界中の人とポケモンを戦わせたり、交換したりして楽しんでいます。なお来年(2027年中)には記念すべき10世代目となる、シリーズ最新作が発売予定!
例えば上の写真、私の背後で心地よく眠っているこのポケモンは、恐らく「イタチ」をモチーフにしたと思われる「オオタチ」です。オオタチ自体は結構過去作からいる子なのですが、2026年現在の(外伝作品を除く正統な「ポケモン」シリーズの)最新作である『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』に登場する、ある人気キャラクターの相棒として登場している関係もあってか、特に人気が再燃しているポケモンなんですよね〜。




【1日目:ポケモンセンターヒロシマ】
そんな「kawaii!!!!!!!!!!」でぶち転がってスタートした広島旅行1日目。早速「母の目的」を果たすため、いの一番に訪れたのは……そうです、わざわざこんなにみっちり書いたならもうお分かりでしょう!

「赤いギャラドス」と「コイキング」です!
今年めでたく生誕30周年を迎えた『ポケモン』のオリジナルグッズや、ビデオゲーム・カードゲーム商品を取り扱うオフィシャルストア……、その名も『ポケモンセンターヒロシマ』です!

看板ポケモンになっている「赤いギャラドス」、実は「世界一弱いポケモン」とも言われる「コイキング」が成長して「進化(すがたを変えて強くなる)」した姿……なのですが、実は「ギャラドス」は本来青い色をしたポケモン。GBカラー用ソフト『ポケモン金銀』の物語の中で、初めてこの「赤いギャラドス」……つまり「通常と体色が異なる個体」が登場します。
これをきっかけに、のちのシリーズではほぼすべてのポケモンに「色違いポケモン(通常と体色が異なるレア個体)」が存在する……という設定ができた、そんな経緯があります。ちなみに通常色と比べて強い弱いとかの個体差はないので、色違いは純粋なコレクション要素と言えますね。

まあつまり「赤いギャラドス」というシンボルは、特に(自分のような)古参ポケモンファンには思い入れ深いものなんですよね。ちなみにコイキングも負けないくらいの愛されキャラで、「赤」がトレードマークの「広島カープ」とコラボしたレアグッズもあります!
(ちなみにコイキングの色違いは、しゃちほこのような金ピカです!)
では何故、母は「意地でも」「この日に」「ポケセンヒロシマに」来たかったのか。その理由こそが……、

詳細:https://shop.pokemon.co.jp/ja/shop/pokemoncenter-hiroshima/events/202605/000308.html
母の最推しポケモン「ゼニガメ」に会うためッ!! 中の人などいないッ!!(笑)
私と違い、母は別にポケモンのゲームをプレイしている訳ではありません。が、アニメなどの影響で今も昔もゼニガメが大のお気に入り。そしてゼニガメのグリーティングイベントがあるのは、この当日のヒロシマ店ただ1箇所!! 「今を逃したらもう一生会えないかもしれない!」と、このヒロシマ遠征を決断した訳です。
「それなら(自分は行った事ないから)原爆の資料館と厳島神社も行きたい」と私が随伴することになった……というのが今回の旅の経緯なわけでして。……バスとホテル予約したの私ですけど。
ご当地ポケセングッズも買えるし、おまけに今月誕生日だったのもあり(誕生月に来店すると、ポケモンのゲームソフトに特別なポケモンが貰えるなどのサービスがある)、グリーティングだけでなくショッピングも大いに楽しみました。







やっぱり抑えられなかったよあたしゃ……(財布を覗き込みつつ)。
【1日目:厳島神社】
母のメインイベントを終え、ちょっと遅い昼食を取りつつ、続いては広島駅からJRとフェリーで小1時間程度。かの大鳥居で有名な『厳島神社』へと向かいます。目的地に近づくにつれ、いつの間にか曇天から青空へと空模様は移り変わり、宮島フェリーに乗る頃にはすっかり快晴になっていました。……だから仕事し過ぎ(母を横目に)。

※JR西日本宮島フェリーの場合
御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
御由緒:
当社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた。
宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。
その後安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸(ごこう)、治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸(ごこう)があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。
当社に対する崇敬は、平家から源氏の世になっても変わることなく、又時代が移り室町時代の足利尊氏や義満、戦国時代の大内家、毛利家などからも崇拝された。
松島・天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」として知られ、平成8年(1996年)にはユネスコの世界文化遺産に登録され現在にいたる。
──厳島神社公式サイトより引用

思い思いにのんびりと過ごす鹿さん達を眺めつつ(神様仏様のいるところにはだいたい鹿さんもいるジャパニーズミステリー……)、厳島神社本殿方面へと歩を進めます。
時刻はちょうど干潮の時間帯。つまり大鳥居は、いつも海に沈んでいる部分が根元まで顕になっており、普段は見られないその全貌が望めました。だけでなく、何と砂浜を歩いて大鳥居の下まで行き、その側面に触れる・くぐるという貴重な体験も! やはり海面に聳える鳥居は凛としてカッコいいものですが、これはこれでまた違った風情があり、いい景色ですよね。
なお、大鳥居の元に近付く際は(普段は海に沈んでいるので当たり前ですが)鳥居の根本にビッシリと生きたままのフジツボが張り付いております故、集合体恐怖症の方は卒倒しないようくれぐれもお気をつけください……。掲載写真からはちゃんと省いてますのでご安心を。

下側は恐らく船底などに用いる耐海水用の塗料・素材で作られている様子?
こうしてみると、鳥居本体との継ぎ目がはっきりと分かりますね。
本殿の拝観は有料ですが、障害者手帳を提示すると昇殿料が100円(大人)になります。
中に入ってすぐ、観光客がある方向を一斉に眺めていたので見てみると、そこには大鳥居の正面に向かって、姿勢を正して佇む2人の人影……その一人が純白の花嫁装束を纏っていることに気がつきました。そうか、ジューンブライドかおめでとうございます……!
なめらかで美しい、どこかしっとりとした風合いの朱色に染まった柱に囲まれていると、なんとなくこうキリッとした、厳かな気持ちになってきます。そうして大鳥居と向かい合わせになった神社の中心部までくると、そこでお守りやおみくじ・お札・御朱印などの受付をしていました。
実は厳島神社の御朱印帳は、春夏秋冬季節替わりで4種類のデザインがあるらしいのです! どれも素敵なデザインばかりなので、是非お気に入りをゲットしてみては? なお、御朱印帳には予め透明なカバーを付けた状態で渡してくれます。これは地味に嬉しい気遣い。

ちょうど1冊使い終わるタイミングだったので、ここで新調です!
参考:https://x.gd/SbA1EN
参拝後は神社の裏をぐるりと周り、(母が体質で牡蠣が食べられないので)ここでしか食べられない目玉グルメ「揚げもみじ」を頂くことに。
こぢんまりとした店内には様々なご当地商品・お土産物もたくさん! 店内の一角に、もみじ饅頭の工場らしきエリアがあったりもします。食券を買って注文すると、ものの数分で揚げたての商品を提供して下さいます!

揚げもみじは生地がもっちり・衣はサックサク! チョコとチーズを頂きましたが、正直全フレーバー制覇しても余裕そうなくらい、揚げ物なのにペロリと食べちゃいました。一緒に写っている瓶入りの飲み物は、本物の紅葉の葉のエキスが入ったレモネードサイダー。ちゃんと紅葉の葉っぽいやわらかな香りがして美味しかったので、お土産に2本くらい買って帰ればよかったかも(このお店限定商品っぽい?)。あと地元産のビールや酎ハイ・日本酒・ウイスキーなどなど多種多様なお酒なんかもいっぱいありました。……ま、また行けばいいかぁ!








【1日目:夕食 広島お好み焼き】
帰りはJRではなく路面電車経由で来た道を引き返し、ホテルにチェックイン。流石に二人とも旅の疲れがドッと来て、ベッドにゴロンしてぼーっと呆けて……しばらく。
わ「……お腹空いたなー、夕飯何食べる?」
母「なんか近くにないの? ちゃっぴーさんに聞いてよー」
……ということで「ちゃっぴーさん」、もといChatGPTに検索してもらった中から、徒歩数分の評価のいいお店を選んで向かうことに。

カリカリになった端っこの麺が美味し〜い!

薄めに広げた生地に、てんこ盛りにした細切りキャベツともやしの山。そして忘れちゃいけない、そばも盛り付けてひっくり返し、ジュージューと焼いて出来上がり!
一口頬張ると繊細に刻まれたキャベツの甘みと柔らかさがジュワッと口いっぱいに広がり、続いてシャキシャキしたもやしの歯応え・場所によってカリカリだったりモチモチだったりする細麺のアクセント……、ソースやマヨネーズを追いがけしなくても、素材のうまみだけでもう大満足! 母の注文した海鮮トッピングに追加の「もちトッピング」の方もたまりませんでしたね!
この時は持ち帰りや配達の注文と思われる厨房からのコールが鳴り止まず、巨大な鉄板(客席からオープンな状態なので調理の様子が見える)の周りを店長らしき奥様と店員さん達が縦横無尽に素早く動き、ひっきりなしに来る注文を片っ端から捌いていくさまは最早圧巻というか、芸術の域でした……。
帰り際に飴ちゃんと、なぜかポケモンカード(ポケモンのトレーディングカードゲーム)を1枚引かせてくれた奥様、ありがとうございました。ここも是非また来たいですね!
……と、いうことで1日目は終了!
明日に向けて気持ちを落ち着けながら、しかし旅の疲れもあり2人して泥のように眠ったのでした。
【2日目:平和記念公園へ】
そして翌朝。私たちはホテルを後にしてすぐ『平和記念公園』へと向かいました。

平和記念公園は、旧太田川(本川)が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置し、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園です。
この場所は、江戸時代から昭和初期に至るまで広島市の中心的な繁華街でしたが、昭和20年(1945年)8月6日に人類史上初めて落とされた一発の原子爆弾により、一瞬のうちに破壊されました。
被爆後、昭和24年(1949年)8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、昭和25年(1950年)から平和記念公園及び施設の建設が進められ、昭和30年(1955年)に完成しました。
公園内には、原爆ドーム、広島平和記念資料館、平和の願いを込めて設置された数々のモニュメント、被爆したアオギリなどがあります。
──広島市公式サイトより引用

幸い、公園は滞在先ホテルから徒歩圏内。昨日とはまた違う粛々とした気持ちで、私たちは公園内に足を踏み入れました。
【2日目:原爆ドーム】
公園内でまず私たちを出迎えたのは、一瞬で地獄と化した「あの日」からずっと、この大地を力強く踏み締め立ち続ける『原爆ドーム』の姿でした。

参考:https://www.city.hiroshima.lg.jp/atomicbomb-peace/1036664/1021115/1015065.html
原爆ドームがその名を冠する前の役割は、当然ですが今とはまったく違います。
最初は物産展示即売・商工業の調査相談・美術博覧会会場などとして、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)に『広島県物産陳列館』として完成。建物は煉瓦造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形のドームが載せられていました。
その後『広島県立商品陳列所』『広島県産業奨励館』と改称し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは『内務省中国四国土木出張所』『広島県地方木材株式会社』など官公庁等の事務所として使用されたそうです。

【2日目:代表的な慰霊碑・記念碑】
原爆の子の像

参考:https://www.city.hiroshima.lg.jp/atomicbomb-peace/1036664/1006055/1003093.html
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和をきずくための
──原爆の子の像 石碑に刻まれたメッセージ
『原爆の子の像』は、年間を通じて、たくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称『千羽鶴の塔』とも呼ばれています。像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。
折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。
佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。
その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。
(広島市公式サイトより一部抜粋)
原爆死没者慰霊碑

参考:https://x.gd/TNbnf

参考:https://x.gd/TNbnf
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
──慰霊碑前の石碑に刻まれた碑文
『原爆死没者慰霊碑(正式名称:広島平和都市記念碑)』は、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを誓って建てられたのと同時に、原爆で痛ましい最期を遂げた数多の魂を弔う、ひとつの墓標のような場所でもあります。
独特な形をした半円の屋根には「犠牲者の霊を雨露から守りたい」という願いが込められており、慰霊碑中央の石室には、国内外を問わず原子爆弾に被爆し、亡くなられた方の氏名・年月日・年齢を記帳した「原爆死没者名簿」が納められています。その数は2023(令和5)年8月6日時点で126冊(339,227人の名前が記帳された124冊・「氏名不詳者 多数」と記された1冊・長崎で被爆し広島での奉納を希望した方13人の名前が記帳された1冊)もあるそうです。
この「主語のない碑文」の意味(外国人向けの解説文)は「すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記述され、複数の言語で翻訳文が添えられています。
この解説文だけでも、既に相当な衝撃でした。「過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて」「真の世界平和の実現を祈念する」だなんて言葉、私だったら絶対に言えない。もし私があの時代にいたなら、恐怖と悲嘆と憤怒と憎悪で早々に気が狂っていたでしょう。あんな世にも悍ましい、残虐非道な仕打ちを受けておいて、どれ程の強さと慈悲があれば「許そう」と思えるのでしょうか。こんな言葉が、紡げるのでしょうか……。私には、到底わかりません。
【2日目:広島平和記念資料館】

1945(昭和20)年、8月6日。人類史上初めての原子爆弾が広島市中心部の上空約600メートルでさく裂し、広島市は壊滅的な被害を受けます。この凄惨な悲劇を後世に伝え、二度と繰り返さない・繰り返させないために、平和記念資料館は作られました。
1955(昭和30)年8月24日に平和記念資料館が開館(初代館長は長岡省吾)。原爆被災に関する資料収集には、市民有志の団体である原爆資料集成後援会(現在の原爆資料保存会)をはじめ数多くの市民の協力がありました。2006(平成18)年には国の重要文化財に指定され、建物自体も幾度かのリニューアル工事を経て、現在に至ります。
──資料館公式サイト年表より一部抜粋・引用
資料館には無料で入場できるエリアもありますが、常設展示を観るには別途入場料が必要です。障害者手帳を持っている方とその介助者(同伴者)は、無料で常設展示も観られます。どちらの場合も基本的には、時間指定の前売りWeb入場予約チケットが必要ですのでご注意ください。
さて、いよいよです。この先に足を踏み入れるということは、私たちの世代では決して知り得ない、数多の凄惨な苦しみ・悲しみ・怒り……そして想像もつかない痛みと、真っ向から向き合うということに他なりません。それなりの覚悟と敬意をもって、立ち向かうつもりでした。……そのつもりで、自分から「ここに来たい」と言ったはず、でした。
でもそんな薄っぺらな「覚悟」という名ばかりの強がりは、結局何の役にも立ちませんでした。館内で私がカメラのシャッターを切れたのは、撮影できたのは、


たったの2枚きり。……入り口付近にあった、この2枚きり、です。
この入り口にあったのは、白黒の2枚の写真。爆撃直後の様子を収めた唯一の、非常に貴重な2枚の写真でした。その写真の側には、撮影者によるこんな詩が綴ってありました。

松重美人撮影 中国新聞社所蔵
引用:https://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=172&lang=jpn
御幸橋には
大火傷を負って逃れてきた負傷者が群がっていた。
カメラを構えたが、シャッターが切れない。
二十分ほどためらい、
やっとの思いで、一枚目のシャッターを切った。「助けて」
「水をください」
動く気力もない母親の胸にすがる幼児。
「目を開けて、目を開けて」
子どもの名前を呼び続ける半狂乱の母親。
頭髪は焼けちぢれ、
顔、腕、背、足のいたるところの火ぶくれが破れ、
火傷の皮膚がボロぎれのように垂れ下がる。頬に涙が伝い、ファインダーを通す情景がうるんだ。
──『平和文化』第53号より
まさに地獄だ。
……打ちのめされていました。ただ、ひたすらに。
カメラを持ち上げることも、シャッターに指をかけることも。
眼前にある数々の戦争の遺物に、どうしてもレンズを向けられない。
何度も何度も立ち止まり、ベンチに座り込みました。
これ以上先に進むのを、止めたくなる程度には──。
こんなのが「現実に」起きただなんて。
当たり前に教科書で習った歴史に対して、理解を拒む。
今時のリアルなホラーゲームの方が、きっと、ずっと生ぬるい──。
前半の展示を見終わる頃には、既に半ば放心状態になっていたかと思います。先行して私を待っていた母。流石は親というべきか、よろめき力尽きるようにベンチの隣に腰掛けた私に対して、彼女はただ一言、
「まあアンタは耐え切れんやろうなぁ〜、と思うとった」
と告げ、にやりと笑っただけでした。
母は自分の父……つまり私から見て祖父のことを思い返していました。大切な二限レフカメラを、形見分けとして私に譲ってくれた、亡き祖父のことを。もし祖父がもう少しだけ早く生まれていたら、恐らく戦場に徴兵され戦っていたのだろう、と。
戦争の残り香がある時代の中で、下のきょうだいたちを守りながら、立派な「長女」として子どもの頃を駆け抜けただろう母の目に、あの展示品は、記録たちは、どう映っていたのだろう? ……結局、私はただ閉口しました。少なくとも「今は」、受け止められる自信がなかったので。
なお、有料(500円)ですが多言語対応の音声ガイド貸し出しサービスもあります。我々も利用しましたが、被爆者の方が当時のお話をされる肉声のほか、日本語音声では俳優の吉永小百合さんによる朗読パートが要所要所で挟まれるんです。……これがとにかく心を深く深く抉る。必聴の価値ありです。
【2日目:さよなら、ヒロシマ!】
我々の広島2人旅も終わりに近づき、帰路のバスを待つため再びJR広島駅へ戻ってきました。
駅ビルでお土産を買ったり、自分が靴擦れを起こしていたため替えのサンダルを買ったり(泣)。お土産物は代表的なもみじ饅頭はもちろん、広島の特産物である牡蠣やレモン(柑橘類)を使ったものも多く、目移りしつつ色々と購入。
気がついたらバスの出発時間が迫っていたので、急ぎバスターミナルへ移動。こうして、行きとは正反対の晴れやかな夏空の下、濃密な2日間をくれた広島を後にしたのでした。

(画像は帰路のSAで購入したロングポテトを突っ込まれる推しぬい)


【まとめ】

以上、とーとつなだらだら広島旅行記でした。
今になって思い返せば、ゆったりしているようでいて怒涛の2日間でしたね。天気も良く、美味しいものも食べ、非常に楽しゅうございました。……脚は未だに悲鳴をあげているんですが(笑)。
広島はまだまだ見どころがいっぱいある場所ですし、今回行きそびれた場所(例えば宮島のロープウェイは点検中で乗れなかったり、とかとか)も行ってみたいですし、距離的にも割と行きやすいですし、また行く時はふらっと1人旅なんてのもいいなあ〜、とか思いました!
……あ、でも1人で行ったら嵐でフェリー出ないかも……、やっぱり母、必要ッ!!
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ここまでお読み頂きありがとうございました。
それでは、またの機会があれば!
※当記事中の一部画像には、商用利用可能な生成AI技術を用いて加工を加えています。詳しくはAdobeの生成AIについてをご覧下さい。
※当記事の一部画像には「ChatGPT」によってAI画像生成した物が含まれます。なお該当画像のALTテキストには、可能な限り生成時のプロンプトを併記します。
※当記事の一部画像には、無断転載や不正なAI学習を抑制するウォーターマーク、及び「Glaze」による特殊な画像加工を施しています。詳細については以下をご覧下さい(英文表記)。
2026.7.10





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